鶏びあ
「焼き鳥なのに豚肉」「焼き鳥=豚バラ」の謎
焼き鳥と聞くと、当然多くの方は鶏肉が串に刺さっているものをイメージされるかと思います。
しかし、地域によっては、焼き鳥なのに豚肉を使用していたり、焼き鳥=豚バラという考え方が根付いていたりする場合もあります。
今回は、これらの一風変わった焼き鳥の謎に迫っていきたいと思います。
豚肉を使用した焼き鳥が一般的なエリア
皆さんがご存知の焼き鳥は、鶏肉を一口大に切ったものを串に刺し、直火焼きしたものを指していますが、以下のエリアでは豚肉を使用するのが一般的です。
・北海道
・山形県
・埼玉県
では、こちらのエリアにおける焼き鳥について、もう少し詳しく見てみましょう。
北海道の焼き鳥
北海道の中でも、道南地方の焼き鳥では豚肉を使用するのが一般的です。
特に有名なのは室蘭市の“室蘭焼き鳥”で、こちらは豚肉とタマネギを竹串に刺して焼き、甘味の強いタレや塩、洋がらし、練りからしで味付けしたものです。
また、使用される豚肉の部位は、肩ロースやトントロ、サガリなどが多く、他の部位をあわせて提供する店舗も存在します。
“ねぎま”と表記されている場合は、豚肉とタマネギの組み合わせであるケースが多いです。
昭和初期、食糧を増産するため、室蘭市では農家が豚を飼うようになり、1933年頃、室蘭市の輪西では、豚肉の串焼きを提供する屋台がすでに営業されていました。
屋台主の1人が、雀などの野鳥の串焼きを提供する『鳥よし』という店舗を開店しましたが、当初から豚肉とモツを使用した串焼きを売り出していて、こちらが室蘭焼き鳥の元祖とされています。
ちなみに、室蘭市内では50店舗以上の室蘭焼き鳥店があり、近隣の伊達市や登別市、札幌市にも、専門店が軒を連ねています。
山形県の焼き鳥
山形県寒河江市には、“寒河江焼き鳥”というご当地焼き鳥があります。
こちらは、豚モツを中心に使用する焼き鳥で、1串のボリュームが非常に多く、1串150円前後というコスパの良さも特徴です。
具体的には、豚のサガリやレバーなどを使用するもので、昭和中期、山形市の焼鳥屋が浅草の菊水通りで繁盛していたモツ焼きを山形に持ち込んだのがルーツとされています。
東京の流行最先端の味が寒河江市に持ち込まれ、その珍しさと美味しさから、市民に受け入れられるまでに時間はかかりませんでした。
また、当時寒河江市内には食肉加工場があり、新鮮な豚モツが手に入りやすく、さらに良質な地酒を醸す蔵元があったことから、お酒のお供として多くの市民に根付いていったと推測されています。
ちなみに、寒河江焼き鳥は、焼き上がるまでの間、豚足や煮込みなどのサイドメニューを食べながら待つのが定番です。
豚足は、沖縄や福岡などで食べられるものとは異なり、塩味でトロトロに煮込まれたもので、店舗によって皮の有無や味付けにこだわりがあります。
煮込みは豚モツや牛モツを根菜類とじっくり煮込んだ味噌味のものが定番です。
埼玉県の焼き鳥
埼玉県のほぼ中央に位置する東松山市では、“東松山焼き鳥”がご当地グルメとして根付いています。
こちらは、豚のカシラ肉を炭火で丹念に焼き上げ、辛い味噌ダレをつけて食べる焼き鳥です。タンやハツなど、他の部位も出しているお店もあります。
朝鮮出身の『大松屋』初代店主が考案し、周辺の店舗に教えて定着したとされています。
豚のカシラ肉は、昭和30年代、ホルモンなどと同様にあまり食肉としては使用されず、主にハムやウインナーといった加工肉食品の材料に使われていました。
また、当時肉は高級品であり、なかなか食べられないものでしたが、東松山市内には食肉センターがあったため、安価で新鮮なカシラ肉が手に入り、こちらを大松屋の初代店主が、屋台で焼いて出したのが東松山焼き鳥のルーツです。
ちなみに、カシラ肉の共同購入などのため、昭和37年に結成された東松山焼鳥組合は、日本初の焼き鳥店同業組合として知られています。
「焼き鳥=豚バラ」が一般的なエリア
福岡県では、全域で「焼き鳥=豚バラ」という考え方が根付いています。
焼鳥屋を訪れ、豚バラを注文しない福岡県民はいないといっても過言ではありません。
このような考え方のルーツは、福岡県久留米市の郷土料理である“久留米焼き鳥”にあります。
こちらは、食材を鶏肉に限定せず、串に刺して焼いたものであり、中でも豚バラはもっとも好まれている食材です。
鳥皮や砂ずりといった鶏モツ系や、ダルムと呼ばれる豚の白モツも人気で、センポコと呼ばれる牛や馬の大動脈を用いた、硬いイカのような食感がある焼き鳥は、久留米焼き鳥の特徴とされています。
つまり、福岡県の焼き鳥は、豚バラをメインに使用しているというわけではなく、「串に刺して焼けば何でも焼き鳥」といった考え方で作られているということです。
実際、あらゆる具材をベーコンで巻く巻物串も久留米発祥であり、最初に考案したのは『焼きとり鉄砲久留米本店』の創業者・木下敏光氏です。
木下氏は、当時高級食材であったアスパラガスを豚バラ肉で巻く巻物串を考案し、こちらは廉価で手軽な焼き鳥における、老若男女に幅広く好まれる食材の組み合わせを独自に研究したことが始まりとされています。
こちらの考え方が、現在の久留米焼き鳥の根底にあります。
ちなみに久留米焼き鳥自体は、昭和30年代の屋台での提供が発祥とされていて、当時から焼き鳥と称しつつ鶏肉のメニューは少なく、豚など獣類の腸や豚バラ肉が主体でした。
安くて栄養価が高く、調理時間も短くて美味しい焼き鳥は、久留米の労働者層の口に合っただけでなく、工場を退職した労働者が真似して開業することも容易な職業であったことが、久留米で焼鳥屋が増加した要因であったともみられています。
2022年現在、久留米市には140店舗以上の焼鳥屋が存在し、過去には人口1万人あたりの焼鳥屋の数が日本最多であったことから、久留米焼き鳥学会が発足されています。